とるちゅのおと

コトノハノチカラ

「注文の多い料理店」について

 宮沢賢治は、生前に2つの著作を刊行した。1924年4月の心象スケッチ「春と修羅」の自費出版および同年12月の「注文の多い料理店」を含む9篇の童話から成る童話集「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」である。 この童話集の刊行に際しては大小二種の広告チラシが作られた。それらには、賢治によって書かれたと考えられる解題と各篇の簡潔な説明が掲載されている。そして「注文の多い料理店」については、「糧に乏しい村のこどもらが都会文明と放恣な階級とに対する止むに止まれない反感です。」と説明されている。

 都会文明を象徴しているのが、「イギリスの兵隊のかたち」であり、放恣な階級に属するのが、そのような格好をした「二人の若い紳士」である。都会文明に憧れ、放恣な生活を謳歌する二人は、動物の命を奪うことに快感を覚え、命に対する畏敬の念など少しも持ち合わせていない。何事にも代え難いはずの命を金銭に置き換えることがごく当たり前なのである。 

  表層の豊かさと目新しさに飛びつき、動物の一員であることを忘れた二人の紳士が、山を荒らすことを、山猫は許さない。柳田国男によれば「妖怪とは神が零落したもの」であり、山猫は、山に住む妖怪である。山猫は、命を軽んじ、自らが他の生命によって生かされていることや自らも食べられる存在になり得ることを忘れた浅はかな人間が、山に侵入することを防いだのである。冒頭でどこかへ行ってしまう案内の鉄砲打ちは、山奥が神聖な場所であること(=山の神が住むところ)だと感じ取り、自然への畏怖の気持ちから二人についていくことができなかった。

 動物の世界は、食うものと食われるものの関係で成り立っている。人間とてその例外ではない。古来日本人は、自然と対話し、自然を畏れ、自然を愛して生活を営んできた。しかし、押し寄せる近代化の波は、日本人が大切にしてきた自然に対する畏敬の念をも押し流そうとしていた。

 ところで、二人を料理しているのは山猫ではなく、近代文明であるとも考えられる。かぎ穴からのぞく山猫の目は青い。立派な西洋づくりの家の様子にすっかり騙され、二人は自ら料理されに中へと急ぐ。たくさんの戸があり、戸を開けるたびに、二人は必ず注文をつけられる。どんな注文を受けても我慢して、二人は一刻も早くテーブルに就きたい。髪型や靴についた泥を気にすることもせず農業に邁進してきた日本人が、赤い字で書かれた注文によって否定される。弾と鉄砲は持ち込めず、二人は近代文明と戦う武器を没収された。そして、気づかぬうちに身ぐるみはがれた状態になり、脱ぎ捨てた持ち物を入れた箱に自ら鍵までかけてしまうのである。二人はこれまでの出来事に何度か疑問を抱いているが、その度に良い方へ良い方へと考え、疑問と向きあおうとしない。美味しいクリームに誘われて、香水と思い込んだ酢を浴び、塩を塗らされそうになってから、初めて自分の置かれた立場に気づくのである。間一髪の状況下、二人は、趣味で命を奪うのではなく、人間の糧として狩猟を行っている鉄砲打ちに助けられる。しかし、脱ぎ捨てたものの大切さに気づかないまま箱に鍵をかけてしまうような心は変わらないため、顔は紙屑のようだし、帰りに山鳥を買うことも忘れない。

 この作品は、自然への畏敬の念を忘れてはならないというメッセージと、近代文明を受け容れることによって失うものがあることへの警告を発するものである。

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