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とるちゅのおと

コトノハノチカラ

「月夜のでんしんばしら」について

 「子供」である恭一は、鉄道線路の横の平らなところをすたすた歩いている。月の光が確かに感じられるほど暗くなっているのに、そのような危険な線路沿いを、「あかり」によってまるで大きなお城にも見える停車場に向かって、すたすた歩いている。つかれてもう歩けないという二本の電信柱が、後ろの電信柱に責められながらなんとか行進していく様子を眺めていた恭一は、見ていることにさえ少しつかれてぼんやりし、頭が痛くなり、黙って下を見てしまう。学生時代の賢治は、学校のある盛岡から実家のある花巻まで、汽車に乗らずに夜通し歩いて帰ることが多かったという。また、農学校の教員時代も、賢治は観劇しに汽車で盛岡へ行くと帰りは節約のために夜通し歩いたという。でんしんばしらの行進に言葉を失う恭一少年は、近代化の波に押し流されていく時代に疲れてしまった賢治自身の姿なのか。

 歩いている途中で、恭一は「電気総長」と出会う。二人の会話から、恭一が電気に抱いている漠然とした不安が読み取れる。そして、電気総長と握手した恭一は感電するのである。電気総長は恭一に向かって、もっと強く握手すると黒焦げになると警告する。そして、電気総長が司る電信柱の部隊には、行進の歌に出てくる二本うでの工兵と六本うでの竜騎兵のほかにてき弾兵が含まれいる。てき弾兵はヨーロッパの陸軍で組織されていた歩兵部隊の一種であること、電気総長の話の中にイングランドスコットランドが登場することから、賢治は、日本のみならず世界が迎えている近代化に警鐘を鳴らしていたと考える。

 「月夜のでんしんばしら」には、電気に象徴される近代化に向かって突き進む世界の背中を、無理を承知で必至に追いかける日本の在り方に、警鐘をならしたいという賢治の切実な想いが込められている。

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