読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

とるちゅのおと

コトノハノチカラ

「狼森と笊森、盗人森」について

日本文学:近代

 宮沢賢治は、生前に2つの著作を刊行した。1924年4月の心象スケッチ「春と修羅」の自費出版および同年12月の「狼森と笊森、盗森」を含む9篇の童話から成る童話集「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」である。 この童話集の刊行に際しては大小二種の広告チラシが作られた。そこには、賢治によって書かれたと考えられる解題と各篇の簡潔な説明が掲載されている。そして「狼森と笊森、盗森」については、「人と森との原始的な交渉で、自然の順違二面が農民と与えへた永い間の印象です。」と説明されている。 つまりこの作品は、人が森に抱く要望に対して自然が順う/違える場面について、三つの森の「奇体な名前」の由来を通して描くものである。そして、語り手は、第四の森である黒坂森の中心にある大きな巖である。この巖は岩手山の噴火で岩手山から落ちてきたものであり、いわば岩手山の分身ともいえる。黒坂森は、「奇体な」とは言いがたい名前であり、その由来については明らかにされていない。したがって、小岩井農場の北にある四つの黒い松の森のうち黒坂森は別格であることがわかる。

 岩手山の噴火によってできた四つの森に、「とびどぐ」をからだにしばりつけた四人の百姓がやってくる。入植するに当たり、百姓たちは周囲を巡る山々(=自然)という偉大な存在に許しを求めている。土地も木も自然から恵んでもらうという謙虚な気持ちで、自然と向き合っている。この場面は、常に自然と対話し、畏れ、敬い、共生してきた古き良き日本人の人間観・世界観に溢れ、優しさと厳しさを併せもつ自然に対する賢治の想いが現れている。

 第一の事件では、子どもがいなくなる。百姓たちは「農具」だけを持って、一番近い狼森へと探しに行く。狼森では、子どもたちが狼たちにもてなされている。これは、山の神が宿る奥山と里山と人里を行き来する狼によって伝えられた、野原や里山を共同の土地として仲良く使って行きたいという気持ちの現れである。百姓たちもその気持に応えて、粟餅を置いてくる。

 第二の事件では、農具がなくなる。百姓たちは何も持たずに、狼森と笊森へと探しに行く。笊森にあった大きな笊の中に農具はすべて揃っている。大きな笊のまんなかには山男が座っている。山男は山猫と同じく里山にかけて住んでいる妖怪である。柳田国男によれば「妖怪とは神が零落したもの」であり、森にまで開墾が広がることを心配した山の神が、山男を通して開発の行き過ぎを警告したのである。人間生活の基盤である農業が、行き過ぎた開発によって自然を破壊することを暗示している。百姓たちは、農具を隠されたにもかかわらず、何もしていない狼森と同様に笊森にも粟餅を置いてくる。

 第三の事件では、粟がなくなる。百姓たちは「え物」を持って、四つの森へと探しに行く。つまり、百姓たちは「とびどぐ」を手にして森へと向かったのである。盗森の黒い男は、粟を盗んでいないと嘘をつく。初めて武器を手にしてやってきた百姓たちに対して、この男は四つの森に住むものたちの中で、初めて嘘をつくものとなる。そして、その嘘を、四つの森の産み主である岩手山がたしなめる。嘘をついたのは、粟餅がつくりたかったからなのだと明らかにする。ところで、狼森の狼と笊森の山男はともに、百姓たちがやってくることと粟餅がやってくることを結びつけている。そして、家にかえった百姓たちも四つ全部の森に粟餅を持っていくのである。

 賢治は、自然と人間の主従関係を問うのでも、自然破壊への反対を唱えるのでもなく、人間が自然と対話しながら生きていくことの大切さを伝えようとしている。

© 2016 とるちゅのおと