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とるちゅのおと

コトノハノチカラ

童話集『注文の多い料理店』に込められた想い

 童話集『注文の多い料理店』に収められた九篇に共通する特筆すべき特徴は、仏教信仰に基づく自然崇拝と自然との交感力に支えられた詩的な世界およびオノマトペを多用した特異な語り口といえる。

 自然豊かな花巻市で育った賢治は、自然の優しさと厳しさについて身をもって知っていた。学生時代に、植物、土壌、鉱物、農業などを学んだことが、作品に科学的視点をもたらし、独特の雰囲気を醸し出している。

 また、仏教徒である賢治は、自然と対話し、自然を畏怖し、自然を敬い、動物、植物、風、雨、雷、雪、太陽、星、月などあらゆるものに命を感じ、人間と対等であると考えていた。作品を貫く利他主義や自己犠牲の精神は、日蓮宗の篤信家としての側面をうかがわせる。

 賢治は、童話集『注文の多い料理店』において、その序によせて「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをすきです。」と述べ、この童話集の作品について、「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきた」ものだとし、自然の恵みだと考えていることを伝えている。

 賢治は人間を、人間同士の関係で捉えるというより、自然との関係の中で捉えていた。賢治の童話では、人間だけでなく動物も野山も風も、人間と同じように人間に対して語りかけてくる。妖異や動物が話すのはもちろん、『どんぐりと山猫』では栗の木やきのこやどんぐり、『狼森と笊森、盗人森』では巖、山、森、『かしわばやしの夜』では柏の木が話し、『月夜のでんしんばしら』では電信柱が軍歌を歌う。自然という人間を超越した存在の前において、人間は数ある生き物のひとつに過ぎないのである。

 賢治の中には、「人間界と自然界」という二元論は存在しない。一般的に人間は、「里と山」、「人間世界と動物世界」、「自然と文明」などのように、自分を取り巻く世界を、相反する二者択一の世界として見る傾向がある。しかし、実際に人間が生きていくときに、この二元論は何の役にも立たない。それどころか、害をもたらす場合すらある。賢治にとって、この厄介な二元論からの脱却が、童話集『注文の多い料理店』の最大のテーマだったのではなかろうか。

 『どんぐりと山猫』で一郎がお説教で聴いたという言葉は、「ばかこそが、えらい」である。ここで「愚者と賢者」という二元論が否定される。『狼森と笊森、盗人森』では、百姓たちは自分たちに何も利益をもたらさない山にも、他の山と同じように粟餅を持っていく。ここで「損と得」という二元論が否定される。『注文の多い料理店』では、二人の紳士が知らぬ間に食べられる側になっており、『山男の四月』では、山男が食べられるかもしれない立場を自然に受け入れていることから、「食うか食われるか」の二元論が否定される。『水仙月の四日』では、舞台となる「水仙月の四日」があの世とこの世つまり死と生が一年で一番近づく日であることから、「生と死」の二元論が否定される。『烏の北斗七星』では、敵の山ガラスの死に流された烏の涙に「敵と見方」という二元論が否定される。そして、最後に収録された『鹿踊りのはじまり』においては、嘉十が鹿たちの言葉を人間の言葉を聞くかのように理解することで「人間と動物」の二元論が否定される。さらに、この『鹿踊りのはじまり』には、賢治のもうひとつの想いが込められている。それは、自然は支配できるものでも人間と融合するものでもなく、畏れるべき対象なのだということである。賢治の生まれ育った東北の自然は厳しく、自然災害にも見舞われることの多い地域である。自然は人間の都合に合わせてくれるものではない。人間は自然の一部でしかなく、ときに無力であることを賢治は痛感していた。(このことは、『水仙月の四日』で子どもが吹雪の中で遭難してしまいそうになること、子どもの生死を決めるのが自然の気まぐれ=雪童子の感情であることからも見て取れる。)鹿踊りは決して人間の感情を表しているものではなく、鹿踊りが表現しているものは自然の有り様であり、踊りを見つめる/舞う人間は、ときに恵みを与えときに苦しみを与える自然を受け容れるかのように、静かな気持ちで鹿踊りと対峙しなければならないことを、読者は風に告げられる。この作品が童話集の最後に据えられていることから、賢治がこの童話集に、すでに述べてきた二元論の否定に加えて、人間が自然をどれほど魅力的なものと感じても、自然をどれほど身近なものであると感じても、決して超えてはならない一線があるという想いを込めていたと考える。そして、この想いは、『どんぐりと山猫』では、山猫の「出頭すべし」という文言を一郎が頭ごなしに拒否して二度と葉書がもらえなくなったことを通して描かれ、『注文の多い料理店』では、二人の紳士が押し寄せる近代化の波によって日本人が大切にしてきた自然に対する畏敬の念を捨てて趣味で狩猟をしていたら、顔が紙屑のようになってもとどおりにならなかったことなどを通して描かれている。  

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