とるちゅのおと

コトノハノチカラ

「烏の北斗七星」について

 宮沢賢治は、生前に2つの著作を刊行した。1924年4月の心象スケッチ「春と修羅」の自費出版および同年12月の「烏の北斗七星」を含む9篇の童話を含む童話集「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」である。 この童話集の刊行に際しては大小二種の広告チラシが作られた。そこには、賢治によって書かれたと考えられる解題と各篇の簡潔な説明が掲載されている。そして「烏の北斗七星」については、「戦ふものゝ内的感情です。」と説明されている。

 山ガラスとの決戦前日、烏の大尉は許嫁に自分が翌日山ガラスを追いに行くのだ「そうだ」と告げる。「戦ふもの」は自分の戦いについて、突然知らされるうえに、戦う理由を考える自由をも奪われている。戦うことを受け入れざるを得ないのである。戦闘前夜、北極星を中心に回る空の水車は、止めることのできない時の流れを表しているかのようだ。空の裂け目からぶら下がる長い腕は、烏一羽一羽の胸に宿ったそれぞれの想いであろうか。戦時下に無意識に心の奥底に閉じ込めている想いが、自由に飛び回る瞬間がそこに見える。

 この混乱を静めるのが月である。闇を照らす月の登場によって、烏たちは安心する。それがどんなものであろうとも、闇を照らすものを求めているのだ。暗闇でそれぞれの想いに引きずられてしまうことが怖いのだ。心まで制御されてしまった個人の哀しい姿である。しかし、死を目前にした烏の大尉の想いは、月が登場したとしても打ち消し得ない。食物連鎖という自然の摂理にしたがって、自分の生命維持のために他の命を奪うのでも、自分以外の生命維持のために自分の命が奪われるわけでもない。自分が殺されないためには殺すしかないという、ただそれだけのために、自分が戦わされていることに気づいてしまっているのだ。月の光に安心することができない大尉は、眠れない夜を許嫁を想って過ごす。それだのに、山ガラスを見つけた大尉の胸は「勇ましく踊」る。戦争へと突き進む軍隊の狂気がここに描かれる。

 大尉は二種類のなみだを流している。一つは、駆逐艦隊とともに流した涙であり、味方に死者がでなかったことに安堵した涙である。もう一つは、「新しい泪」と表現されている。この泪の意味は、理由のわからない戦いに巻き込まれ死んでいった敵への弔いの泪、あるいは自分が命を奪ったものへの懺悔の泪なのではなかろうか。「新しい泪」を流した大尉は、敵の死骸を葬ることを申し出て、「憎むことのできない敵」を殺さないですむ世界を、マヂエルの星に願うのである。

 本作品は、カラスの義勇艦隊と山ガラスの戦争という仮構を借りて、戦う理由のわからないまま、戦争に巻き込まれていく個人の姿を哀しく描き出す。

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