とるちゅのおと

コトノハノチカラ

「水仙月の四日」について

 表題「水仙月の四日」とはどのような日であるのか。雪婆んごの立場から考えてみると、雪をたくさん降らせなければならない日であり、子どものひとりやふたりをこっち(雪婆んご側の世界)へとっていい日である。雪婆んご側の世界はあの世、遭難しかけている子どもの側の世界はこの世であり、水仙月の四日はあの世とこの世、つまり死と生が一年で一番近づく日であると考えられる。死と生は自然そのものであり、壮大な命の物語を、天球を舞台装置とし、自然の順違二面から映し出している。冬の空や雪の様子を幻想的に描写したその表現は卓抜であり、読み手は風雪荒れ狂う雪原で起きた出来事を、そこに居合わせたかのように思い浮かべることができ、極めて映像的である。

 雪婆んごに雪を降らせることを命じられた雪童子は、カシオペアに「おまへのガラスの水車」を回せと叫んでいる。これは、カシオペアに目立つ2等星3個の青い光が、北極星を中心に日周運動によって回って見えることを、水車に見立てていると思われる。水仙月の四日が死と生の最接近日と考えるならば、この水車の軌道が輪廻転生を象徴しているかのようでもある。

 また、やどりぎの果実は、それをエサとする鳥によって冬に他の樹木に運ばれて宿主に寄生して命をつなぐ。つまり、やどりぎのまりは命のバトンなのである。雪童子(=自然)が与えたバトンを子どもはしっかりと握りしめる。子どもは、知らず知らずのうちに、その手に生かされる運命を握ったのである。かつて水仙月の四日に命を落としたであろう雪童子は、やどりぎのバトンで子どもに命をつないだのだ。

 人間にとって、自然は容赦のないものであり恵みをもたらすものである。しかし、自然に意志はない。この作品は、厳しく容赦のない自然(=雪婆んご)と時に恵みをもたらす自然(=雪童子)の下で、自然の一部として生かされているひとつの命を描き出している。

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