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とるちゅのおと

コトノハノチカラ

「どんぐりと山猫」」について

 宮沢賢治は、生前に2つの著作を刊行した。1924年4月の心象スケッチ「春と修羅」の自費出版と同年12月の「どんぐりと山猫」をはじめとする9篇の童話を含む童話集「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」である。

  この童話集の刊行に際しては大小二種の広告チラシが作られた。そこには、賢治によって書かれたと考えられる解題および各篇の簡潔な説明が掲載されている。そして「どんぐりと山猫」については、「山猫拝と書いたおかしな葉書が来たので、こどもが山の風の中へ出かけて行くはなし。必ず比較をされなけれはならないいまの学童たちの内奥からの反響です。」と説明されている。この説明に登場人物を当てはめると、山猫拝の山猫は判事である山猫であり、出かけて行くこどもは一郎、学童たちはどんぐりと考えられる。そうなると、判事である猫は、学童たちの先生とも解釈できる。

 「めんどなさいばん」は、ブナ科の木の実の総称であるどんぐりのうちだれが「いちばんえらい」かを山猫が決めるものであった。「めんどな」の部分に、山猫がどんぐり一つひとつに対峙することを面倒だと感じていることが伺える。どれも同じように見えるどんぐりであるが、山に落ちているどんぐりは山の将来を担う黄金のどんぐりである。自分こそが最も優れていると主張する黄金のどんぐりの叫びを通して、一括りに「どんぐり」とされ、個性に着目することなく、ただ比較されるだけの環境にある当時の学童の姿を描き出している。

 一郎がお説教で聴いた言葉は「ばかこそが、えらい」というものであったが、山猫の判決では、「ばかはえらくなくて、えらい」という内容に変えられてしまった。内容の矛盾が、どんぐりたちの思考を止め、黙らせてしまう。 山猫はなぜ「めんどなさいばん」に一郎を選んだのか。それは、どんぐりの一人である一郎を利用して、子どもたちを抑えることを試みたからである。「おかしなはがき」には「ごきげんよろしいほで、けっこです」とあり、山猫が以前から一郎を知っていたことがうかがえる。「おかしなはがき」をもらって大喜びする天真爛漫な子どもらしさとお説教をきちんと聞ける素直さをもつ一郎を利用しようとしたのである。「とびどぐ」は、山猫(=先生)に対する反抗心である。

 一郎の言葉を改変して、どんぐりたちを黙らせることに成功した山猫は、これから先も一郎を利用するべきかどうかを検討する。「出頭すべし」という山猫側からの命令を下し、おとなしく従うことができるかどうかで判断しようとした。その結果、命令を断るような使いにくい一郎には二度と葉書が来なかったのである。そして、黄金のどんぐり(=学童)の一員であることを選んだ一郎は、一升のどんぐりたちとともに里に帰される。

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