とるちゅのおと

コトノハノチカラ

「雪渡り」について

 「雪渡り」は「キックキックトントン」などのリズミカルなオノマトペや、「堅雪かんこ凍み雪しんこ。狐の子ぁ嫁ぃほしいほしい」という「花いちもんめ」のような楽しい掛け合いが印象的な作品である。雪国育ちの人であれば、晴れた朝の通学路で、一枚の板になった雪を、丸型やハート型にくり抜いて遊んだ日々を彷彿させる郷愁を覚える作品でもある。

 物語の舞台は、賢治作品の多くがそうであるように里山であり、山と人里の境界である。そしてまたこの舞台は、大人と子どもの境界でもある。

 四郎の兄は「大人の狐」に注意するように弟たちに忠告する。また、紺三郎の台詞によれば、「大人の狐」はうそをつき人をそねむものであるようだ。狐の幻燈会への参加を許されるのが11歳以下であることから、12歳以上を大人とするようだが、ここでは、人間か狐かという区別はなく、何年生きているかということだけが問題となっている。この世に生を受けて生きていることにおいて、人間と狐は対等なのだ。狐に騙されたと言っている人間の大人は、酔っ払って自ら勘違いしており、滑稽な存在として描かれている。自らの過ちを自らの過ちとできない大人が、そこに描かれる。そして、彼らを滑稽だと感じることにおいて、人間の子どもである四郎たちと狐の子どもである紺三郎たちに何ら違いはない。四郎たちが、狐の作ってくれた団子を食べ、「大人」という存在について共感できるのは、そこが里山だからなのである。

 幻燈会への参加を許されない14才の兄は、弟たちに狐へのお土産を持たせている。人間と狐とを区別しない子どもの心がそこに存在する。歳を重ねたからといって、大人は子どもの心をすべて無くしてしまうのではない。うそをつき、人をそねむようになり、子どもの心が小さくなり、忘れてしまっていくのだ。ここに、理想の生き方との矛盾を抱えて苦しんでいる、大人になってしまった賢治の姿が投影される。小さくなっていく子どもの心と大きくなっていく大人の頭を想う、自由な心でいられた幼い日々へのまなざしと郷愁が、月明かりに光り輝く美しい雪景色の中に照らし出される作品である。

@2016 とるちゅのおと

 

「やまなし」について

 物語の冒頭、賢治はこの物語を「二枚の青い幻燈」だと紹介している。二枚に描かれた二つの場面には、それぞれ「一、五月」と「二、十二月」という題がつけられており、十二ヶ月の中から、五月と十二月の様子を切り取ったものだとわかる。では、なぜ五月と十二月だったのだろうか。

 「一、五月」の場面に登場するクランボンの正体については、様々な説が存在するが、定説といったものはない。しかし、クランボンの正体について曖昧なままこの作品を解釈することはできなかったので、自分なりの解釈をしてみようと思う。クランボンという音に着目せずに、どのような役割を果たしているかに着目することにする。そうすると、クランボンは、かぷかぷわらうものであり、跳ねるものであり、死ぬものであり、殺されるものである。クランボンが死ぬ(殺される)のは、魚が通ったときであるから、クランボンの死には魚が関係している。上流から戻ってきた魚が口を環のように円く開けているのは、プランクトンを捕食している描写と考える。蟹の兄弟の立場から見れば、プランクトンがわらったり跳ねたりすることはあり得ることである。そこで、クランボンはプランクトンであるという仮説を立ててみると、「一、五月」が、蟹の兄弟が、魚に食われるプランクトンと鳥に食われる魚を目撃する場面であることがわかる。表題になっている「やまなし」は、川底で蟹の兄弟が目にする壮絶な場面をよそに、この頃には美しい開花時期を迎えている。

 「二、十二月」の場面は、賢治の詩「雨ニモマケズ」の一節、「北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ」を連想させる。「やまなし」の結実は11月であるとのことなので、谷川に落下した「やまなし」は完熟したものであろう。その実がもたらす恵みが、諍いの空気を一変する。「やまなし」は食べられるために結実したのではないが、自然からの贈り物ともいえる果実から、動物はいのちをいただいて生きているのだ。

 賢治は、小さな谷川の十二ヶ月の中から、食物連鎖を象徴した五月の一場面と、豊穣の秋を象徴した十二月の一場面を切り取ったのである。そして、表題になっている「やまなし」は自然の象徴である。「私の幻燈はこれでおしまいであります。」とあるように、賢治はこのたった二つの場面を通して、自らの自然への想いのすべてを描ききったと考える。

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童話集『注文の多い料理店』に込められた想い

 童話集『注文の多い料理店』に収められた九篇に共通する特筆すべき特徴は、仏教信仰に基づく自然崇拝と自然との交感力に支えられた詩的な世界およびオノマトペを多用した特異な語り口といえる。

 自然豊かな花巻市で育った賢治は、自然の優しさと厳しさについて身をもって知っていた。学生時代に、植物、土壌、鉱物、農業などを学んだことが、作品に科学的視点をもたらし、独特の雰囲気を醸し出している。

 また、仏教徒である賢治は、自然と対話し、自然を畏怖し、自然を敬い、動物、植物、風、雨、雷、雪、太陽、星、月などあらゆるものに命を感じ、人間と対等であると考えていた。作品を貫く利他主義や自己犠牲の精神は、日蓮宗の篤信家としての側面をうかがわせる。

 賢治は、童話集『注文の多い料理店』において、その序によせて「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをすきです。」と述べ、この童話集の作品について、「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきた」ものだとし、自然の恵みだと考えていることを伝えている。

 賢治は人間を、人間同士の関係で捉えるというより、自然との関係の中で捉えていた。賢治の童話では、人間だけでなく動物も野山も風も、人間と同じように人間に対して語りかけてくる。妖異や動物が話すのはもちろん、『どんぐりと山猫』では栗の木やきのこやどんぐり、『狼森と笊森、盗人森』では巖、山、森、『かしわばやしの夜』では柏の木が話し、『月夜のでんしんばしら』では電信柱が軍歌を歌う。自然という人間を超越した存在の前において、人間は数ある生き物のひとつに過ぎないのである。

 賢治の中には、「人間界と自然界」という二元論は存在しない。一般的に人間は、「里と山」、「人間世界と動物世界」、「自然と文明」などのように、自分を取り巻く世界を、相反する二者択一の世界として見る傾向がある。しかし、実際に人間が生きていくときに、この二元論は何の役にも立たない。それどころか、害をもたらす場合すらある。賢治にとって、この厄介な二元論からの脱却が、童話集『注文の多い料理店』の最大のテーマだったのではなかろうか。

 『どんぐりと山猫』で一郎がお説教で聴いたという言葉は、「ばかこそが、えらい」である。ここで「愚者と賢者」という二元論が否定される。『狼森と笊森、盗人森』では、百姓たちは自分たちに何も利益をもたらさない山にも、他の山と同じように粟餅を持っていく。ここで「損と得」という二元論が否定される。『注文の多い料理店』では、二人の紳士が知らぬ間に食べられる側になっており、『山男の四月』では、山男が食べられるかもしれない立場を自然に受け入れていることから、「食うか食われるか」の二元論が否定される。『水仙月の四日』では、舞台となる「水仙月の四日」があの世とこの世つまり死と生が一年で一番近づく日であることから、「生と死」の二元論が否定される。『烏の北斗七星』では、敵の山ガラスの死に流された烏の涙に「敵と見方」という二元論が否定される。そして、最後に収録された『鹿踊りのはじまり』においては、嘉十が鹿たちの言葉を人間の言葉を聞くかのように理解することで「人間と動物」の二元論が否定される。さらに、この『鹿踊りのはじまり』には、賢治のもうひとつの想いが込められている。それは、自然は支配できるものでも人間と融合するものでもなく、畏れるべき対象なのだということである。賢治の生まれ育った東北の自然は厳しく、自然災害にも見舞われることの多い地域である。自然は人間の都合に合わせてくれるものではない。人間は自然の一部でしかなく、ときに無力であることを賢治は痛感していた。(このことは、『水仙月の四日』で子どもが吹雪の中で遭難してしまいそうになること、子どもの生死を決めるのが自然の気まぐれ=雪童子の感情であることからも見て取れる。)鹿踊りは決して人間の感情を表しているものではなく、鹿踊りが表現しているものは自然の有り様であり、踊りを見つめる/舞う人間は、ときに恵みを与えときに苦しみを与える自然を受け容れるかのように、静かな気持ちで鹿踊りと対峙しなければならないことを、読者は風に告げられる。この作品が童話集の最後に据えられていることから、賢治がこの童話集に、すでに述べてきた二元論の否定に加えて、人間が自然をどれほど魅力的なものと感じても、自然をどれほど身近なものであると感じても、決して超えてはならない一線があるという想いを込めていたと考える。そして、この想いは、『どんぐりと山猫』では、山猫の「出頭すべし」という文言を一郎が頭ごなしに拒否して二度と葉書がもらえなくなったことを通して描かれ、『注文の多い料理店』では、二人の紳士が押し寄せる近代化の波によって日本人が大切にしてきた自然に対する畏敬の念を捨てて趣味で狩猟をしていたら、顔が紙屑のようになってもとどおりにならなかったことなどを通して描かれている。  

© 2016 とるちゅのおと

「氷河鼠の毛皮」について

 この作品は、大正十二年四月十五日に「岩手毎日新聞」に発表されたものである。掲載当時の時代背景から、この作品を「シベリア出兵の寓話」とする説もある。実際に賢治が物語の舞台設定において時代の空気から何らかの影響を受けていたであろうことは否定しないが、私は賢治の創作活動のテーマを「自然の一部としての人間」であると考えており、この作品についてもその視点から読み解いてみたい。

 冒頭から、「このおはなし」は「ずゐぶん北の方の寒いところからきれぎれに風に吹きとばされて来た」ということがわかる。ベーリング行最大急行の出発を待つ停車場にいた「私」は、汽車には乗らず、「風の飛ばしてよこした切れ切れの報告」をつなぎあわせて、この物語を語っている。賢治は自然を、人間とその他の生き物とを俯瞰した存在として捉えていた。この語りの方法から、賢治が自然の視点からの物語を読者に伝えようとしていることがわかる。これは、『狼森と笊森、盗人森』で「黒坂森のまんなかの巨きな巖」が語り手であることや『鹿踊のはじまり』で「ざあざあ吹いていた風」が語り手であることに共通した方法である。

 停車場を離れてからの「おはなし」は、風が語ったものである。列車の乗客の中で、唯一楽しそうに描かれているのが若い船乗りの青年である。極北に向かう車中の乗客は、氷河鼠の毛皮でできた上着を身につけたタイチを始めとし、用意できる限りの防寒着を身につけて乗り込んでいる。タイチに至っては、過剰なまでの着込みようである。そのような中で、若い船乗りは黄色い帆布の上着一枚で口笛を吹いている。衣服は必要最低限で十分だと思っているかのようである。青年がポケットから取り出したナイフで窓ガラスについた氷を削り落とすと、美しい雪景色が現れる。青年は、月に話しかけているかのように、外を見つめながら笑うとも泣くともわからない様子で何かを口にしている。タイチともう一人の乗客が防寒着のことで諍いを始めても、月とオリオンの空をじっとながめるばかりである。

 タイチの旅の目的は、賭け事のための狩猟である。『注文の多い料理店』の紳士たちのように、生き物の命を奪うことに何のためらいもない。その証拠に、自分の氷河鼠の上着には四百五十疋の氷河鼠が使われていると豪語して憚らない。自分が手にしている品物が生き物の命と引き換えに作られていることを全く意に介さないタイチの言葉は、青年の耳には届かない。まるで発せられた言葉が通じないかのように、青年の反応はない。この場面は、あまりにも価値観の違う人間同士の会話が成立しないことを暗示しているかのようだ。

 そのとき、紅茶を運んできた白服のボーイが、青年の見つめる車窓の景色を見て、「まつくら」で「おばけが出さう」だとつぶやく。ボーイが白い服を身につけていることから、ボーイは神聖なものの象徴であるとも考えられる。人工の明かりの灯らない暗闇は自然そのものである。自然そのものの中で人間は無力だ。「おばけが出さう」という恐怖は、自然に対する恐怖とも言える。車内の景色や諍いに気を取られたり、自分の中に引きこもったり、眠ってしまったりして、車外の景色を決して意識しない人間たちは、暗闇の恐怖を忘れてしまっている。

 夜が明けて、物語は大きく展開する。白熊のような雪狐のような得体の知れないものたちが、車内に雪崩れ込んで来たのである。たくさんの生き物の毛皮を多用した衣服を何枚も身につけ、賭け事のために生き物を大量虐殺しに向かうタイチを成敗するためだ。同じ人間から見ても、全く良い所が描かれていないタイチを助けるのは、タイチの存在をまるで無視するかのように車窓を眺めていた帆布の青年である。熊のように見える侵入者たちに、共感を示し、歩み寄りを求める。青年がタイチに生きるための狩猟以外は控えるように云うことを条件に、事件は収束する。青年は、赤ひげの人に扮する北極狐の間諜も、ピストルと一緒に仲間たちのところへ返してやる。

 列車は再び走りだした。青年は、ずっと車窓を眺めていたから、熊たちが横にレールを敷いたことに気づいていたはずだ。列車はどこに向かっているのか。イーハトブの停車場から最大急行に乗り込んだ乗客は、赤ひげの人以外青年を含めて全員乗ったままである。青年はまた黙って窓の氷を削り、車窓を眺める。自分たちがどこへ向かうのかをしっかりと見定めようとしているかのようだ。風の飛ばしてきたお話はここまでであるから、列車がどこにたどり着いたのか、まだ走っているのかは誰にもわからない。

 黄色い帆布の上着を着た青年が、賢治の姿と重なってみえる。人間と争うことも自然に抗うこともなく、時代という名の急行列車に乗って、車窓からこの国の向かう未来をじっと見つめている。改めて、この作品が「雨ニモマケズ」を書いた賢治の作品なのだと思う。自然において、人間と他の生き物は対等であるのだから、人間と他の生き物が争うとき、「ツマラナイカラヤメロ」と言いたいのだ。タイチが青年に抱いた印象のように、「ホメラレモセズ クニモサレズ」、この青年のように「ワタシハナリタイ」との願いが込められた作品である。

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「鹿踊りのはじまり」について

 この物語の語り部である「わたし」は、眠っているときにこの話を風から教えられたとしている。「狼森と笊森、盗人森」が岩手山の巖を介して語られたように、風が語ったことを「わたし」が読者に語るという二重構造になっている。

 嘉十はおぢいさんたちとともにやってきた開墾者である。あるとき嘉十は栗の木から落ちて膝を悪くする。栗は里山を代表する樹木のひとつであるが、仏教においては仏様がおられる西方浄土へ杖になって導く聖なる木とされる。聖なる木に導かれるように嘉十は湯治のために山に入る。

 山中の嘉十は、鹿たちの言葉を人間の言葉を聞くかのように理解する。鹿たちの会話に引き込まれていく嘉十であるが、鹿たちと自分との違いを忘れ、融合しようとしたときには拒絶される。栗の木が与えたきっかけ(膝の怪我)によって、山に入った嘉十は人間と自然とが決して一体化できないことを思い知るのである。

 賢治の生まれ育った東北の自然は厳しく、自然災害にも見舞われることの多い地域である。自然は人間の都合に合わせてくれるものではない。人間は自然の一部でしかなく、ときに無力であることを賢治は痛感していた。自然は支配できるものでも人間と融合するものでもなく、畏れるべき対象なのである。

 風が語った鹿踊りの精神は、鹿踊りが決して人間の感情を表しているものではないということなのではなかろうか。鹿踊りが表現しているものは自然の有り様であり、踊りを見つめる/舞う人間は、ときに恵みを与えときに苦しみを与える自然を受け容れるかのように、静かな気持ちで鹿踊りと対峙しなければならないのである。

 自然がどれほど魅力的なものであっても、自然がどれほど身近なものであると感じても、決して超えてはならない一線があることを、風は教えている。

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「月夜のでんしんばしら」について

 「子供」である恭一は、鉄道線路の横の平らなところをすたすた歩いている。月の光が確かに感じられるほど暗くなっているのに、そのような危険な線路沿いを、「あかり」によってまるで大きなお城にも見える停車場に向かって、すたすた歩いている。つかれてもう歩けないという二本の電信柱が、後ろの電信柱に責められながらなんとか行進していく様子を眺めていた恭一は、見ていることにさえ少しつかれてぼんやりし、頭が痛くなり、黙って下を見てしまう。学生時代の賢治は、学校のある盛岡から実家のある花巻まで、汽車に乗らずに夜通し歩いて帰ることが多かったという。また、農学校の教員時代も、賢治は観劇しに汽車で盛岡へ行くと帰りは節約のために夜通し歩いたという。でんしんばしらの行進に言葉を失う恭一少年は、近代化の波に押し流されていく時代に疲れてしまった賢治自身の姿なのか。

 歩いている途中で、恭一は「電気総長」と出会う。二人の会話から、恭一が電気に抱いている漠然とした不安が読み取れる。そして、電気総長と握手した恭一は感電するのである。電気総長は恭一に向かって、もっと強く握手すると黒焦げになると警告する。そして、電気総長が司る電信柱の部隊には、行進の歌に出てくる二本うでの工兵と六本うでの竜騎兵のほかにてき弾兵が含まれいる。てき弾兵はヨーロッパの陸軍で組織されていた歩兵部隊の一種であること、電気総長の話の中にイングランドスコットランドが登場することから、賢治は、日本のみならず世界が迎えている近代化に警鐘を鳴らしていたと考える。

 「月夜のでんしんばしら」には、電気に象徴される近代化に向かって突き進む世界の背中を、無理を承知で必至に追いかける日本の在り方に、警鐘をならしたいという賢治の切実な想いが込められている。

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「かしはばやしの夜」について

 この作品に描かれる出来事は、画かきの2つの叫び声、すなわち「鬱金しゃっぽのカンカラカンのカアン。」で始まり、「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン。」で終わる。かしわの木やふくろうの囃子が小気味良く、色彩の描写が印象的で、読後には音楽劇を鑑賞したような感覚が残る。リズム感や色彩感に溢れた、賢治の才能を感じさせる作品といえる。

 冒頭で画かきと清作が交わす挨拶は荒唐無稽な印象を与える。しかし、画かきの「野はらには小さく切った影法師がばら播きですね」は月光に照らされてうすく網になって地に落ちた木のかげの様子を、清作の「お空はこれから銀のきな粉でまぶされます」はのちに月を覆い隠す霧を暗示しており、活気に溢れ、スピード感に満ちたこの音楽劇を陰から演出している。

 唐突に登場した画かきは、いきなり「ぷんぷん怒つて」いる。画かきは、怒っているばかりか「軽べつしたやうに清作を見おろ」す。柏の木大王と清作のやり取りの中にその原因を探ってみると、清作がこの柏林の柏の木を切り倒していることと木を切り倒しておきながらお礼の酒を持ってきていないことがわかる。清作はお礼の酒は山主に買ってやったし大王に買う「いわれ」はないという。このことで、清作と柏の木大王は何度も言い争う。清作は自分が柏の木たちに対する感謝の念を忘れていることに気づかない。山の持ち主が誰であるかということは、自然にとってはどうでもよいことであり、自然の一部である人間にとっても、本当はどうでもよいことなのだ。画かきの不機嫌の原因は、山主に対価を渡すという人間界だけの掟が自然にも通用すると信じて疑わない、清作の心の在り方にある。自然への感謝を忘れ、人間界という小さな世界だけを見つめて生きている清作は、柏の木たちに馬鹿にされ続ける。ふくろうの副官が仲を取り持とうとするが、現状は変わらない。

 さて、画かきが決めた賞品であるが、「あるやないやらわからぬメタル」までが混ざっていること、歌の良し悪しでなく歌い手の順番通りに賞を与えていることなどから、歌そのものに重きを置いていないことがわかる。画かきは、柏の木たちと歌を楽しもうとしたのではなく、柏の木たちが清作に直接思いを伝える場面を仕組んだのだ。柏の木たちと清作の直接対話が、画かきの願いなのである。

 画かきは、人間たちが自分たちのルールで山に入り始めたことに警鐘を鳴らしている。それだのに、画かきが力いっぱい叫んでも、その声は清作にかすかに聞こえるだけである。

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